曳山曳揃え
ひきやまこどもかぶき
曳山子供歌舞伎
                    TOP

 小松のお旅まつりの華となっている曳山は、明和三年(1766年)に近江長浜の曳山を
模して造られ始めたと伝えられています。 はじまりの頃の曳山は 平台の曳山でした。
 安永五年に長浜の古い曳山を買い受けることになり、屋根や柱など主な部分を解体して
小松へ運んできました。小松城御用の大工、工人の技術伝承者達は、少しでも立派なもの
にしたいと改良し、組み立てられた曳山は原形をとどめぬくらいの小松独特の形にできあがり
ました。
 安永六年、こうしてできあがった松任町の高楼式の曳山が曳きだされました。豪華な曳山と
平台の粗末な曳山とでは、いくら衣装が立派でも芝居上手でも見劣りするわけで、他の町々
では何かとこれ以上のものをつくりたいと思うようになりました。
 しかし、 安永九年の凶作に追い討ちをかけるように天明三年、全国に大飢饉が襲いました。
小松地方も大洪水に見舞われ、田畑は原野のようになりましたが、西町が新しい曳山をつくる
ことに踏み切りました。この仕事に当たったのが西町の大工 藤山清九朗 でした。
 寛政二年、松任町の曳山がつくられて14年目に小松の大工の手に成る 西町の曳山が
曳きだされました。
 こうして寛政十年までに橋南の町では龍助町、寺町、八日市町、大文字町 橋北の町では
京町、中町と 六基ができあがり、松任町、西町と合わせて八基の高楼式の曳山が揃うように
なりました。これより10年ほど遅れて文化四年に東町が、更に文政以後に材木町が最後に
加わって十基になったのです。
 この中の松任町の曳山は、昭和五年の橋北の大火で、東町の曳山も昭和七年の橋南の
大火で焼失し、現在八基となっています。
 曳山は、はじめは白木のまま使っていたものを、文化年間以後に漆金箔を施し、彫刻、
天井絵、見送りなど少しずつ何年もかかって手が加えられ、現在見られるような美しい姿に
仕立てられました。
  そして、その曳山で演じられる曳山子供歌舞伎は、近江長浜、武蔵秩父とともに全国でも
有数の子供歌舞伎として名高くなりました。
  現存の八基の曳山は、昭和40年11月に小松市指定文化財に指定されました。
そして、お旅まつりの曳山行事は、平成13年7月に石川県指定無形民俗文化財に指定され
ました。